6月18日の日記
2004年6月18日わたしが「わたしが嫌悪している」ということに
明確に気づいている時、気づいた時、その瞬間に
わたしは「自分」というものから自由だと思う
怒り、憎しみ、焦り、恐怖、・・・
それらに明確に気づいてる時、それに飲まれることなく
痛めつけられることがない(気づければ・・ね)
だから自分で自分の首を絞めない
嫌悪や憎しみ、ネガティブな思いは自分自身を
最大の被害者にするんだということ
暴走する「自分」からわたし自身を解放してやることだと思う
「自己中心性」から解放された時
わたしはもっと自由に、有意義に生きていくことが
できる,はずだ・・
嫌悪し、渇望する心から、真の自己を学ぶことはないと
思う・・・のだけどね
自分が自分の主人であるために
わたしは闘わないといけない
常に冷静に、反応しない
常に感覚に気づき、冷静に
そして、本当の喜びを味わい
ネガティビティから解放される
明確に気づいている時、気づいた時、その瞬間に
わたしは「自分」というものから自由だと思う
怒り、憎しみ、焦り、恐怖、・・・
それらに明確に気づいてる時、それに飲まれることなく
痛めつけられることがない(気づければ・・ね)
だから自分で自分の首を絞めない
嫌悪や憎しみ、ネガティブな思いは自分自身を
最大の被害者にするんだということ
暴走する「自分」からわたし自身を解放してやることだと思う
「自己中心性」から解放された時
わたしはもっと自由に、有意義に生きていくことが
できる,はずだ・・
嫌悪し、渇望する心から、真の自己を学ぶことはないと
思う・・・のだけどね
自分が自分の主人であるために
わたしは闘わないといけない
常に冷静に、反応しない
常に感覚に気づき、冷静に
そして、本当の喜びを味わい
ネガティビティから解放される
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