5月7日の日記

2004年5月7日
もし僕が完全なベジタリアンになったら
日本で生活するのは難しいでしょうか?
まず外食がとんでもなく難しい
かつお節、ニボシをダシに使うのもあかんから
ほとんどの和食がアウトになってしまうんですね
辛いですねえこれ
お付き合いで飲みに行っても(酒も止めないといかんけどね)
あてもまともには食えないでしょうね
枝豆とかもろきゅうとか・・・そんなんだけ食ってね
焼き鳥屋でもしいたけとかシシトウだけなんよね
辛いっすねえこれ

次にヤバイのがもしかして結婚したら
子供はベジタリアンの家庭生活を送る可能性もありますよね
(嫁もベジタリアンならそうなる可能性大でしょう)
学校で給食を食べることが難しくなりはしないだろうか?
ベジタリアン用の給食なぞ日本の公立学校には存在するのだろうか
個性を尊重するならば、それくらいのブリブリの個性の為に税金を
たくさん使いましょうね

人とお付き合いするのに、「ベジタリアンなんで」って言っても
大概は「はあ?」となるのが現状やあるまいか?
食ってのは大事なコミュニケーションのツールやと思う
家族の食事、友達でBBQ、親族でのおせち料理・・・
それを自分がもしかしたら崩してしまうというか、
崩壊ではないけどそれに近いもんに
追い込んでしまう可能性もあるよね
従来の、ある共同体内(会社、地域、家庭・・)
に存在していた常識は、今の時代に、ある個人が持つ常識、価値観と
かけ離れていくことってよくあると思う

そういう明らかに世間一般と異なるというか
地域社会とかと全く異なる「個」としての価値観を
日本で突き詰めようとすると、どうしても
似たものぞろいでコミュニティを形成していくのが
妥当というか、当然の成り行きに思える
そのほうが気楽だし、居心地いいし、分かり合えるしね

それが閉鎖的で、共同体外と敵対してしまうか、それとも
共同体外にも開放されてて、接点があって何とか
うまくやってくことができるかは別として、である

個の時代
価値観の多様性の時代
ってこんなとこからも始まるんやないのかな?
それって衣食住から信仰から何からも含んでその最大公約数が
世の常識というかルールになってく時代なんだろうね
そうしないといらん対立が生まれるだけやもんね
それでええと思う

違いをことさら強調することで得られる個性よりも
違うことを大前提にしてどうしたらよりよい関係性を築き
共有できるものが何なのかを模索することってとても建設的で
現実的だと思う
それは常に変化していくもので、だから常に考え続けるものだと思う

って何が言いたいのか
とにかく僕は今のとこは全然普通に肉食してます
ベジタリアンにはなりませんでしょうね
今のとこは
お肉、お魚、おいしいもん
こんな楽しみ捨てたくない!!
でも捨ててもいいと思えるほどになるんやろうか・・・
そうなったらホンマに「道」ですね

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