4月29日の日記
2004年4月29日レイキセカンドの前半の講義を受けてきた
これで遠隔ヒーリングが可能となった
なった、と言われても全く実感がないけどとにかく
なった、らしい
ま、気長にやるのがええね
はっきり言ってしまえば、今は全く何も感じない
数年後に何となく感じるくらいになればいいと思う
それくらいのペースで、それくらいのゆとりでもって
レイキと接していきたいし、そうしていくつもりだ
こういうのって激しく求めれば求めるほど逃げてくって思う
求める(渇望)→満たされない→不満→レイキへの不信感
→レイキティーチャーへの憎悪→レイキを止める
って風にいきそうだ
だから適当に、場を楽しみながらやる
皆さんのおもろい話を聞く場
10日間コースの時もそうだった
欲しい、変わりたい、自分を変えたいと思う
劇的に変えたいと思うほど、瞑想コースでの落胆はでかいと思う
そしてその責任を全てコースに向けてしまうのだと思う
本当の問題がそこにあると気づくまでに時間が必要だった
自己中心性
無我ってのとは違う
自分の感覚を大事にしてたら、気づくように努力してたら
自然と他者って違うんやって実感した時があった
それは僕にしてみたらやっぱり初めての経験だと思う
感動!したわけでないけど、小さいけど、日々に弾みをつけてくれる
発見だったと思うし、今後、この気分をどこまで持続できるか
わからないけどできたらええなあ
人に優しくなれるもんな
なんというか、正しいとか誤りとかでなくて
人が言う事を素直に「そんな風に感じるんや」ってな風に
僕が感じるんである
あるがままの現実を受け入れるというのはこれがいつも
持続してる状態なんだろうね、どんな時にもどんな状態でも
それは凄すぎだわ
自分が今感じてることってのを客観的に見ることができた時には
他人ってのもこういう風に手の感覚とかあって、イライラする感覚とか
あって・・って風に感じることができる時がある
それも極めて自然に
今までは自分の頭の中に他人があって、外になかった
そとにあるんだ、他人って
頭の中にあった他人から、外に出た他人になって
人の話しを少し冷静に聞けるようになってきた
もっともっと必要だ
もっと
これで遠隔ヒーリングが可能となった
なった、と言われても全く実感がないけどとにかく
なった、らしい
ま、気長にやるのがええね
はっきり言ってしまえば、今は全く何も感じない
数年後に何となく感じるくらいになればいいと思う
それくらいのペースで、それくらいのゆとりでもって
レイキと接していきたいし、そうしていくつもりだ
こういうのって激しく求めれば求めるほど逃げてくって思う
求める(渇望)→満たされない→不満→レイキへの不信感
→レイキティーチャーへの憎悪→レイキを止める
って風にいきそうだ
だから適当に、場を楽しみながらやる
皆さんのおもろい話を聞く場
10日間コースの時もそうだった
欲しい、変わりたい、自分を変えたいと思う
劇的に変えたいと思うほど、瞑想コースでの落胆はでかいと思う
そしてその責任を全てコースに向けてしまうのだと思う
本当の問題がそこにあると気づくまでに時間が必要だった
自己中心性
無我ってのとは違う
自分の感覚を大事にしてたら、気づくように努力してたら
自然と他者って違うんやって実感した時があった
それは僕にしてみたらやっぱり初めての経験だと思う
感動!したわけでないけど、小さいけど、日々に弾みをつけてくれる
発見だったと思うし、今後、この気分をどこまで持続できるか
わからないけどできたらええなあ
人に優しくなれるもんな
なんというか、正しいとか誤りとかでなくて
人が言う事を素直に「そんな風に感じるんや」ってな風に
僕が感じるんである
あるがままの現実を受け入れるというのはこれがいつも
持続してる状態なんだろうね、どんな時にもどんな状態でも
それは凄すぎだわ
自分が今感じてることってのを客観的に見ることができた時には
他人ってのもこういう風に手の感覚とかあって、イライラする感覚とか
あって・・って風に感じることができる時がある
それも極めて自然に
今までは自分の頭の中に他人があって、外になかった
そとにあるんだ、他人って
頭の中にあった他人から、外に出た他人になって
人の話しを少し冷静に聞けるようになってきた
もっともっと必要だ
もっと
コメント