4月18日の日記

2004年4月17日
今日は一日瞑想会に行ってきた
いつもの京都でのコースと違い、先生宅でのコース
先生は先月の20日頃までインドに3ヶ月ほど滞在し
10日間コースで教え、また自らも60日間!もの長期コースに
参加してこられた
60日間コースはもう4回も参加しておられるらしい
さすが年金で生活してるだけあってなかなか有意義な老後?を
送っておられる
無償でやってるんだから、ホンマに凄いと思う
というかその間、旦那さんは自活できてるのだろうか?
このあたりはさすがに西洋人のおばあちゃん

今日、一日、先生のお宅で瞑想してみて、あらためて成長したな
って思った
去年、2回、ここで一日瞑想会に参加させてもらったけど
その時はもっともっと陰惨とした気分だったし、そして
すぐに瞑想でも諦めの気持ちに負けて、足を崩し、投げ出して
しまうことが多かった
でも今日は、何とかもう少し粘ろう、粘ろうとする気持ちが
あった
朝はあいかわらず全く持ってダメだった
「瞑想は効果ないんちゃうか?とかヨガの方が今の俺には
効果あるんやろう、とか心理学的カウンセラーの方が今の俺に
必要で、こんなとこでこんなことして何になる?・・・」
そういう気持ちで一杯になって途中で抜け出したくなる
「ああ、いやや、あかん、限界!!」
止めたくなる、あきらめたくなる
だって全く集中できない、数秒も呼吸に意識を置けない
自分の現状があまりにも酷くって情けなくって
「俺には向いてない、やっぱり俺って神経症なんだろうなあ、
なんでこんな脳みそに生まれたんだろう、普通の人間になりたい」
てな風な気持ちが一気に噴出してくる
そしてそこから外の世界に向いていく
「俺のこんな心は誰もわかってくれない、皆は恵まれた家庭で
育って、やりやすいんや、俺は精神的な病があって、
集中なんて人並みもできなくて、それやのにどうしたらええの?
誰か分かってくれ、何とかして欲しい、やっぱりヴィッパサナは
幸せがどうたら言うけど、俺のことを何ともしてくれへんやん!!」
ってな風な意固地?な気持ちもガンガンと出てくる
それでも何とか続ける
座ってるだけでも続ける
集中できなくても続ける
そうすると、あるときから少し楽になる
もう少し集中できるようになる
以前の2回ではそうなる前に止めてた
最近の一日瞑想会ではそれを少し越えるようになった

呼吸もその後は若干に楽になる
そんでもうちょいとがんばってみるかとなる
今日はそんな感じで午後からの瞑想が結構に感覚を追えたと思う
まだまだだけど、でもいけた

もう少し僕に集中力があれば、感覚を追うのはもっと楽しいんだ
ろうなあと思う
指先が今、こんな感じなんやとか、足の裏、脇の下・・・
いろんなとこの感覚を感じ、楽しむことができるだろうから
ただ僕はすぐに心が逃げてしまう
そういう癖がついてるから
それを言い訳にしないで、逃げてしまうからこそ、集中する
努力を続けないといけないなあと再度、実感する

しかし家ではなかなかここまではやれない
どうしてもさぼってしまうし、自分を追い込めない
やっぱり月に1回はこういう機会を持ち、心を平静に保つ、
心をリトリートする機会を持つということがとても大事だなって
感じてきているこのごろだ
終わるとホンマにすっきりするもんな

インドでは85歳のおばあちゃんも何と60日間コースに
参加しておられると聞いた
なんだか励まされた
俺もやらないかんなあと

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