4月3日の日記

2004年4月3日
昨日の続き
彼は僕に「なんで瞑想してるん?」って聞いてきた
これには答えに窮した
僕自身、なぜなんだろうか?と自分でも明確な意思が
ない気がする
最初に始めた利用は結局のとこ、ひきこもってて暇だったし
何かその時の生活を変えたかったから、自分に言い訳できるものを
探したかったからだと思う
で、今はどうかと言われれば正直に言って分からない
瞑想にめちゃくちゃ満足してるわけでないし
このままずっと続けていく確信のようなものがあるわけでない
どこか違うなあという思いはある
このままゴエンカ流ヴィパッサナ瞑想を続けてても
何か違うんやないか?満たされへんのと違うか?
というよりも俺にとってはどこか言い訳になってへんか?
という思いはいつだって持ってる
なまじっかしょうもない知識があるせいもあって(?)
本気になって追い求めようとするのに及び腰になるし
その一方で本気にならなければ得られるものはないという
のにも重々気づいてるし・・・
煮え切らない、決断し、行動できない自分である
でも瞑想に関して言えば、ここで簡単に捨ててしまいたくない
という思いがあるのも事実だ
今まではすぐに飽きてしまったり、諦めてしまったり、
継続することができないことが多かった
せめて今回くらいは、どんな結論になるにしろ、もう少し
やりきったというくらいまで続けたいなあという思いがある
今の自分の気持ちというものを自分が全く信じてないので
もう少し続けたいなあと
そう、今の自分を信じてないので

彼の目的は明確らしい
クンダリニー覚醒による潜在意識の活性化、それによって
得られるものを人生の成功に結び付けたいということらしい
大変に「俗」的な発想でむしろ健康的な(?)欲求かも
しれないなあと感じる
なるほど僕もそいうものは心のどこかで求めてる
そう、求めてる
僕の場合は自分に、そして周囲にそう公言してしまうことに
二の足を踏んでるだけである
プライドが邪魔してるんだな、僕の場合は

ただ、そいう超能力的な期待から瞑想、ヨガの道に入ろうとも
なるほどそいう能力が身についたとしても、真の解放からは
ほど遠い世界にたどり着いてしまうと思う
俺って凄いっていう思いはとんでもないだろうな

解放すべき心がやがて閉ざされた世界に生きる事になるに
違いないと思う、少なくとも僕の場合は

あるがまま受け入れるってのはとんでもなく難しい
そんなことできない
あるがまま受け入れられたい
そういう経験がしてみたい
それは神様に愛されるっていう体験と一緒なんやないかな?
がしかし、冷静になれば、僕にとってはそれも現実的な
解決方法にならないだろうな
僕にとっては、であるけど

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