3月21日の日記
2004年3月21日今日の瞑想会はまあまあの出来だった
体の細かい感覚に対してきづくことが
以前よりか上手くいくようになっている
それにつれて自然な形で集中できるようになる
以前なら頭で集中しようとしていた
心を体に広げていくのは難しい
僕は頭でっかちだから難しい
でも以前よりは体に意識が自然と広がるようになっている
それでもまだまだ意識がずれる
目の前のことから意識が逃げてしまう
考え事してしまったり何かに気をとられてそこから
あらぬ方向に意識が向いてしまったり
最近は仕事に追われ、忙しくしてて慌しい毎日だったから
きづきの実践が甘くなってたと思う
こうして一日瞑想をすることでリトリートできる
と同時にちょっとでもプラスになってるというか
少しでも以前よりかは上達してるかなと思える
充実感は以前の瞑想のほうがあるけど、でも少しでも
体に意識がなめらかに向かうようになってる気がする
でも今日、もう一つ思ったことがある
それはいくら瞑想しても瞑想がうまくなっても
家族の問題は解決しないし仕事上の問題がそれだけで
全て解決したりお金の問題がクリアするわけでないということを
特に家族間も問題は深刻だ
日々、心に重しとなっている
なんというか心が閉じてきてるんじゃないだろうかと
思える時が多々ある
ホンマにそろそろ家を出ないとまずい気がする
まずは自分の抱えている問題を解決しないといけないと思う
すぐ解決できるわけでないけどとりあえず自分で生きてく
力は付けないといけないし今のままの宙ぶらりんな生活は
ホンマに苦しい
心が重く重くなっていく
親父と一緒に笑おうと思っても笑えない
笑うとおかんに悪い気がする
親父と一緒にうまい飯を食うとおかんに悪い気がする
笑えない
心から笑えない
これがかなり辛い
自分勝手かもしれないけどやっぱり辛い
ほんでこういう悩みをどこで誰に言っていいのかわからない
今のとこ誰にも話せない
なんでやろうか
こうやって心に一生しこり残して生きてかんといかんのか
完全無欠な親なんていないやろうけど
それでも安心して愛することのできる親が欲しかった
尊敬できなくてもいいから信用できる親が欲しかった
それを埋めてくれるものなら僕はグルでも何でも
愛するだろうなあと思う
体の細かい感覚に対してきづくことが
以前よりか上手くいくようになっている
それにつれて自然な形で集中できるようになる
以前なら頭で集中しようとしていた
心を体に広げていくのは難しい
僕は頭でっかちだから難しい
でも以前よりは体に意識が自然と広がるようになっている
それでもまだまだ意識がずれる
目の前のことから意識が逃げてしまう
考え事してしまったり何かに気をとられてそこから
あらぬ方向に意識が向いてしまったり
最近は仕事に追われ、忙しくしてて慌しい毎日だったから
きづきの実践が甘くなってたと思う
こうして一日瞑想をすることでリトリートできる
と同時にちょっとでもプラスになってるというか
少しでも以前よりかは上達してるかなと思える
充実感は以前の瞑想のほうがあるけど、でも少しでも
体に意識がなめらかに向かうようになってる気がする
でも今日、もう一つ思ったことがある
それはいくら瞑想しても瞑想がうまくなっても
家族の問題は解決しないし仕事上の問題がそれだけで
全て解決したりお金の問題がクリアするわけでないということを
特に家族間も問題は深刻だ
日々、心に重しとなっている
なんというか心が閉じてきてるんじゃないだろうかと
思える時が多々ある
ホンマにそろそろ家を出ないとまずい気がする
まずは自分の抱えている問題を解決しないといけないと思う
すぐ解決できるわけでないけどとりあえず自分で生きてく
力は付けないといけないし今のままの宙ぶらりんな生活は
ホンマに苦しい
心が重く重くなっていく
親父と一緒に笑おうと思っても笑えない
笑うとおかんに悪い気がする
親父と一緒にうまい飯を食うとおかんに悪い気がする
笑えない
心から笑えない
これがかなり辛い
自分勝手かもしれないけどやっぱり辛い
ほんでこういう悩みをどこで誰に言っていいのかわからない
今のとこ誰にも話せない
なんでやろうか
こうやって心に一生しこり残して生きてかんといかんのか
完全無欠な親なんていないやろうけど
それでも安心して愛することのできる親が欲しかった
尊敬できなくてもいいから信用できる親が欲しかった
それを埋めてくれるものなら僕はグルでも何でも
愛するだろうなあと思う
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