祈りの力

2003年11月19日
先生宅は日吉大社の近辺でとってもきれいな
お家でした
坂本の美観地区内にあって、洋風で屋根が
高くてお洒落なお家でした
参加者はなんと僕一人
もう一人来るはずだった人は急な予定でダメに
なったそうで、一人でもちゃんとシキタリに
従って、淡々とすすめられました
最初はちょっと緊張した
瞑想はと言うとどうもあかんかった
どうしても親への憎しみで頭が一杯になる
最近はそればっかりだ
昨日、母親と電話したからそのせいかも
しれない
怒りと憎しみで頭が締めつけられる
「あかん憎しみや、平静に」ときづくが
またすぐにその気持ちで一杯になる
で、またあかんってきづいて呼吸に意識を
戻そうとするけど、また怒りで頭が一杯に
なる、その繰り返しで今日は一日、ほとんど
いい瞑想ができなかった
なんでこんなに憎しみと怒りで締め付けられる
んやろうか?って不思議になるくらいに
締め付けられてしまうことが多い

修行の時、瞑想の終わり際になると
毎回、「全ての生きとし生けるものが幸せで
ありますように」ってパーリ語で言うのに
その通りですって意味の「サードゥ」って
パーリ語で3度繰り返して答えるって
のがあるんだけども、僕はいっつもどこか
しこりがあって、素直にそう言うことが
できなかった
親は除いてその他の生き物すべてだったら・・
そういう感じだった

でも修行10日目に習った慈悲の瞑想では
それを突き破ることができた
ちょっと感動だった
メッタ・バーバナ、パーリ語で慈悲の瞑想である

私が悪意、怒り、憎しみから自由でありますように
私が愛、善意、慈悲を心のうちに育みますように
私の心に安らぎと調和がもたらされますように

私は許します
意識的に無意識的に私のことを傷つけてきた全ての
人を許します
私は許しを請います
意識してか無意識的か私が傷つけてきた全ての人に許しを請います

全ての生きとし生ける者が悪意、怒り、憎しみから
自由でありますように
全ての生きとし生ける者が私の安らぎと調和を享受しますように
全ての生きとし生ける者が幸せでありますように

これを唱えるんだけどもこれにはやられる
なんかキリスト教のお祈りみたいに見えるけど
ミャンマーの上座部仏教の伝統の祈り
これはマジでやられますよ
事実、それまでとは違い
修行の10日目、メッタの瞑想では
かなり涙ぐんでしまった
手を合掌してただ祈りました
テープでゴエンカって先生が英語でこれを
唱えるんだけど、声がとってもええ声なんです
やさしくかたりかけるように言うんですね
幸せになれ「BE HAPPY」って言うんだけど
そこがとってもええんですね
やられます
僕はこれで祈りって力あるんだなって実感しました

今日もあんまよくない瞑想だったけど
ミニ・メッタでちょっと感動でした
毎日、瞑想の最後にこのメッタの瞑想を
唱えようと思うんだけどもやっぱり
ゴエンカ先生のテープの声が欲しい

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