昔から人の視線ってめっさ気になった。
だいたい小学校の高学年くらいからだと思う。
何してても何か人の視線ってのが怖いんである。
見られてるって凄い強く感じてた。
人とよく視線が合うんである。
あかん、視線合ってしまった、やめようと
思えば思うほどそれに囚われてしまう。
また見てしまう
ほんでまた視線が合う
ヘンな奴って思われたやろうか?
最悪や、嫌やあってなってしまう。
そんな自分が嫌になるけど
そんな性分がまるで変えられなかった。
気が小さい・・この一言で表そうと思えば
それにつきるけど、その言葉だけで自分を
説明したくないっていう自尊心が今の僕には
ありますのですが・・・

人の視線ってのはつまるとこ、人が自分をどう
思ってるかってことに囚われてるわけで
人の自分に対する評価ってのが自分にとって
とっても重いものなんです。
治したいけど、なかなか治らないんですね
これが・・


小学校のころって音楽のテストで縦笛を吹かされた
けど、あれ、皆の前で一人で吹かないといかん。
あれがたまらなく嫌だった
僕は先天的?(親父の手がよく震えてるから)に
手が震えるんだけども、皆に注目されると
ますます震える。
震えたら恥ずかしいって思うとますます震える。
それがたまらなく嫌だった。
自意識過剰っていうとそうだけど
その自意識過剰を治す方法なんて分からなかったし
今でもそんなのわからない。
それは中学、高校、大学と進むにつれて
もっとひどくなってきたと思う。

僕は毛深い
それはもう半端やなく毛深い。
日本毛深い選手権があったならば滋賀県代表は
間違いなく僕に違いない。
沖縄に行った時でも足の毛深さで僕に勝る
ウチナンチュはいなかった。
僕は高校の頃によく風呂場で家族に
見つからないように剃刀で毛を
剃りまくっていたから余計に濃く
なってしまったに違いない。
ああ辞めとけばよかった、タイムマシンが
あったらあの頃に戻って、剃るな!!って
昔の自分に忠告してるのに・・
これはとっても深い劣等感になってると思う
だからはっきり言ってレーザー脱毛でもして
その劣等感を取ってしまったほうが、瞑想する
より効果あるんちゃうの?ってな風にも思うし
その方がより「健康的」であると思うが・・
感情がせっぱつまってくると、
なかなかそう思えないのである。
自分のコントロールってとっても難しいのです
僕の場合。自分の思考、感情を全くもって
信用できないのよねえ

田舎の中から都会の世界へ
大学時分に世界は変化したけど、
都会はめっさ怖かった。
人ごみを歩くととっても怖いのである。
人から見られてるってのが
食堂でも、人が多いとめっちゃ怖かった。
泣きそうであったし、一刻も早くその場から
逃げ出したいことはとってもたくさんあった
そんな状態で人とまともに付き合うことなど
出来ない。
女の子とセックスしようにも
なんとなく頭の奥が冷めてしまう。
起たないのである。
おおお、インポテンツ!!
オナニー三昧の日々・・
おかげで想像力だけは豊かになりましたが・・

そして今に到る・・
確かに知識はベラボウに増えたけども
人生経験は19歳で止まったままだ。

外の世界に求めたもの、それは自分の内面の
矛盾だったんやと思う。
だから、今、僕の求めているもの、つまり
瞑想とかレイキで得られるものってのは
始まりからして間違っているのかな?
ぶっちゃけ脱毛した方が心理的には
100倍くらいの効果がありそうな気はする。
ほんでもってセックスにせっせこ励む。
ほんでからやっぱり瞑想したいなあって思ったら
やるっていうのが一番ええのとちゃうか?
っていう風に冷静なときは思うのであるが、
この冷静な自分がなかなか訪れてくれないのが
自分なわけで・・はあ、参ったなあ。

やりたいことやる!!ってとってもキレイに
聞こえるけど、僕の場合の今のやりたいことって
とっても複雑な思い、内的な矛盾から
スタートしてるし、ほんでもって訪問します
業界が業界だけに、とっても危ない面がある。
これに関しては注意が必要。

そうでないと超能力ばんさい!!
我、悟り得たり!!になって「あっち」の
世界に行ってしまう。

「こっち」と「あっち」の世界を作った時、
僕はホンマに終わってしまうと思う。
それはちゃんと理解して、いつも確認しないと
とんでもの世界で入滅です。

是枝監督はディスタンスのテーマの一つに
父性があるって言ってた。
そういう意味では
オウムの人が僕はなんとなく分かるとこある。
家族捨ててまで求めるもの・・真理・・
でもそれは本物の真理なんてもんじゃなくて
彼らの求めたものってもっと違うものやった
んじゃないかな?ってことだと思う
でもそれは一面だから、色んな人いるから
それだけでは説明なんてできないけど・・

であるからしてビッパサナーに求めるのは
なんなのであろうか?客観視・・
「あ、今、人のことを怖がってるわ」
ってとこまで自分を客観視して
恐れと自分が同一化するのから
逃げたいってのはある。
脱同一化
なんやけどなあ。

中島らもとか北野たけしって凄い客観視できる
人やなって思う
自分のとんでもない体験を、確かに喜怒哀楽は
あるんやけど、その体験してる自分をどっか
冷めた目で見てる自分ってのがあるように思う
あれって凄いなあって思う
あれってとっても脱同一化なんやねって感じる

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