カルマ・業

2003年10月1日
最近は精神世界とか超能力なんかの
積極的?(確信犯的)社会逃避が続いてる
ので、なんだか頭がおかしくなりそうなので
大槻教授の「超能力の嘘」という本を
アマゾンに注文いたしました
ほんでもってオウム真理教に関するサイトなど
を見て自戒を込めています

オウムを調べていて思いました
普段は僕は宗教に対して寛容であると
一応に自負していたつもりでしたが
上佑や麻原の教えの中で
カルマ、解脱という言葉が多用されるのを
見て「アホか?」と思ったのです
「そんなアホな話を信じるか」と

しかしよく考えてみれば、解脱、カルマは
仏教の根本的な教義であるのに気づきました
僕は自然な反応として「アホか?」と思った
しかし、この態度こそ実は自然科学絶対という
科学信仰の元に培われた考えから生まれた
自然な反応だったんだと思います
つまりは宗教なぞ、輪廻なぞ馬鹿馬鹿しい
という反応です
そういう見方でしか宗教を見ることが
できなかった
霊性を信じんとする自分がです

理想としての宗教の多様性を信じながらも
心の奥では、何も理解していなかった自分に
気づかされました
でも落ち着いてオウムの教義やら
麻原の説法を聞いていると
どうもどこか腑に落ちないです
それがなにか?ずばり指摘することは
難しいですが、どこかぐっと引いてしまう
ようなところがあります

「修行で身に付く神通力は、本来の悟りへの道、
魂の深化にとって、重要なことではないのだ」
中沢新一さんはかつてそう言ったそうです

彼らは本当に魂の深化を求めしか?
そこに何か違和感を感じます
それは現アーレフにもそう感じます

でもまた普通の信者もまた犠牲者の一人かも
しれないとも思います
なぜオウムを選んでしまったのでしょうか?
なぜその時に超能力科学会ではなくて
オウムだったのでしょうか?
なぜサイケデリクスに出会わずに、オウムに
出会ってしまったのでしょうか?
なぜ超心理学に出会わずにオウムに入信せねば
ならなかったのでしょうか?
偶然か、あまりにも過酷な・・
これが彼らが最も強調して止まないカルマで
あったならば、何とも皮肉としか言いようの
ないことの気がします

現在、彼らのような求道的人生、実存的な
求めに答えうる受け皿として日本の仏教界は
全く機能していないと思います
既存の宗教団体を否定する動きの中で
誕生したオウムなどの新興宗教に対して
日本の既存宗教がどうリアクトしたのか?
それが知りたいです



コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索