幸せの条件
2003年6月3日最近、東京でライターをしている友人と連絡を取り合うことが多い。彼女(旦那は私の高校時代の級友)はよく幸せについて語る。自分の幸せとはパートナー(旦那)との生活が前提であり、彼とは今後仕事上でもパートナーとしてタッグを組む予定、自分の人生設計上、彼は自分の中に無くてはならない存在である、幸せの根本であると言い切る。
実は彼女は、先日、その考え方を、自社の編集長に否定され、猛烈にへこんでいたのであるが、誰に何と言われてもやはり自分の考えは正しい、変えようがないと思う、そう私にメールしてきた。
幸せって主観的で、あいまいで、とらえどころがないものだと思う。
確かにお金がある程度あって、家庭も安定してて、やりがいのある仕事に打ち込むことができて、精神的にもゆとりがある・・それはだれもが憧れる理想的な幸せかもしれない。でも、世の中にそのような全て満たされて生きてる人ってかなり少ないと思う。少なくとも私を含めて、私の周りではそうであった。
そして、他人から見たら憧れるような生活をしている人が確かにいるけど、彼らだって幸せそのものを実感して生きてるって人は意外に少ないのかもしれない。
幸せっていうのは、自分の置かれた環境によって大きく左右されるけど、それで全て決まるわけじゃない。大事なことはその自分の置かれた環境をどう解釈するかだと思う。
自分の内面と真摯に向き合って、自分にとって必要なものを探す事、それは他人と比べられるものでなくて、自分の物差しで計ってみるもの。
それが「幸せの条件」を探しだす出発点だ思う。
実は彼女は、先日、その考え方を、自社の編集長に否定され、猛烈にへこんでいたのであるが、誰に何と言われてもやはり自分の考えは正しい、変えようがないと思う、そう私にメールしてきた。
幸せって主観的で、あいまいで、とらえどころがないものだと思う。
確かにお金がある程度あって、家庭も安定してて、やりがいのある仕事に打ち込むことができて、精神的にもゆとりがある・・それはだれもが憧れる理想的な幸せかもしれない。でも、世の中にそのような全て満たされて生きてる人ってかなり少ないと思う。少なくとも私を含めて、私の周りではそうであった。
そして、他人から見たら憧れるような生活をしている人が確かにいるけど、彼らだって幸せそのものを実感して生きてるって人は意外に少ないのかもしれない。
幸せっていうのは、自分の置かれた環境によって大きく左右されるけど、それで全て決まるわけじゃない。大事なことはその自分の置かれた環境をどう解釈するかだと思う。
自分の内面と真摯に向き合って、自分にとって必要なものを探す事、それは他人と比べられるものでなくて、自分の物差しで計ってみるもの。
それが「幸せの条件」を探しだす出発点だ思う。
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