脳みそエマージェンシー前後について、その心の変遷実例
2003年6月1日以前、これだけは毎日必ずしようと決めたことが3つある。1つはモルモットの世話、2つ目は日記をつけること、最後がランニングを続けること。このうち、今もまともに続くのは日記をつけることか。ランニングは以前半年間、必死の思いで続けたが、何故か最近になって、急に止めてしまった。自分でもその理由がよくわからない。あれほどこだわっていたわりに、すんなりと止めてしまったのだ。しかも止めたことに何のきまづさも感じない。まるでなかったことの様にさえ感じてしまう。
私はなにか考えだすと、(それはえてしてブルーなことか理想とすることのどちらかなのであるが)脳みそが締め付けられるようにこめかみが軋む。思考はグルグル回転しだし、自己制御ができなくなってしまう。その状態が起こる前と起こった後では、時として180度考え方が変わってしまうことがあるのだ。それは自覚してはいるのだが、変えることのできない類の性質らしい。
以前の、毎日ランニングしている時はどこか強迫観念のように、走らねば、走らないとダメなのだ、と自分を急き立てていた気がする。走れない日はどうにも罪悪感に似た感情で、胸が一杯になった。
今はそんな感情はみじんもないが、当時が異常だったとも思えない。
なにか私の中で変わったのだ。それに気づくが何が変わったのか、それを突き止める力は、今の私にはない。
私はなにか考えだすと、(それはえてしてブルーなことか理想とすることのどちらかなのであるが)脳みそが締め付けられるようにこめかみが軋む。思考はグルグル回転しだし、自己制御ができなくなってしまう。その状態が起こる前と起こった後では、時として180度考え方が変わってしまうことがあるのだ。それは自覚してはいるのだが、変えることのできない類の性質らしい。
以前の、毎日ランニングしている時はどこか強迫観念のように、走らねば、走らないとダメなのだ、と自分を急き立てていた気がする。走れない日はどうにも罪悪感に似た感情で、胸が一杯になった。
今はそんな感情はみじんもないが、当時が異常だったとも思えない。
なにか私の中で変わったのだ。それに気づくが何が変わったのか、それを突き止める力は、今の私にはない。
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